76般若波羅密多と魂との関係についてお聞きしたい。
般若というのは上智ということですが、上智といいますのは常識や知識ではない上級の知恵のことをいっているのです。人間が現世に生きている感覚、宗教めいた常識がずいぶんたくさんあるのですが、これらは全部五蘊という言葉で言い現されています。五蘊というのは、物質的現象を実体だと考えている考え方ですが、それは空だと言っているのです。
 人間は、自分自身で生まれたいと思って生まれたものではありません。従って、自分自身の考えで生きているのは間違っているのです。自分が生まれたいと思って生まれたのなら、自分の考えで生きていてもよいと思います。ところが、人間は、自分の考えで生まれてきたのではない。自分の意志で生まれたのではないということは、自分の意志によって生きてはいけないということになるのです。こういう考え方を般若波羅密多と言うのです。
 現世に生きている人間ではない考え方をもつことが、釈尊の悟りの中心になっています。般若波羅密多の上に摩詞という言葉がついていますが、摩詞というのは、不思議とか、奇妙とか、非常に偉大なものとかいう意味をひっくるめたものです。
 般若波羅密多でなければ、実は本当の魂は分かりません。魂が分からない状態でいますと、皆死んでしまうのです。ただ死んでいくだけではありません。先にも言いましたように、死んでから税金をとられるのです。
 私達は、やろうとすれば、現世で悟りを開くことは誰でもできるのです。商売をするだけの知恵があり、月給を取るだけの力量があれば、悟りを開くぐらいのことは誰でもできるのです。誰でもできることをしないから、罰金をとられるのです。これが地獄なのです。これはあたりまえのことなのです。
 そこで私達は、現在生きているということについて、難しいことを考える必要はありません。生きていることについて、まじめに考えたらいいのです。
 魂というのは、人間が生きている機能の本性をいうのです。例えば、五官の本性を魂というのです。これは人間が造ったものではなく、神が造ったものなのです。
 神と簡単にいいますが、神とは一体何かということがはっきりしていないのです。魂の目が開かなければ、神は絶対に分かりません。
 魂が分からないままで神という言葉を使いますと、おのずから宗教観念になってしまうのです。宗教を信じるつもりでなくても、宗教観念になってしまうのです。宗教観念は、全部人間のつくったものなのです。
 釈尊は宗教観念を造ったのではありません。人生が空である事実を言っただけなのです。イエスもそのとおりでありまして、本当の命を示したのです。現在生きていらっしゃるという事実を、真面目に、素朴にお考え頂きたいと思います。



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