75般若心経の言う上智とは何でしょうか。
 新約聖書に出ている本当の信仰といいますのは、上智の信仰です。普通の人間は、救われたいから神を信じるといって信じているのです。これでは宗教観念になるばかりなのです。それは上智ではないからです。
 聖書には上智というような言葉はありませんが、それにかわって、パウロという人が、ローマ人への手紙十二章で、「心をかえて新しくせよ」と言っているのです。心は英訳ではマインドになっていまして、これは、人間の精神のあり方を変えることを言っているのです。これが上智なのです。神のあり方を変えること、物事に対するイメージを変えること、思想的な感覚を全部かえて、しく出なおせと言っているのです。
 般若心経は、神を信じるということは書いていませんが、五蘊皆空というのは、心をかえるやり方のことを言っているのです。パウロはやり方を書いていませんが、ただ心をかえよと言っているのです。般若心経の方は、五蘊皆空だから人間の常識は一切だめだ、本当のことは分からないと言っているのです。パウロは、心をかえてやりなおす気持ちになりなさい、そうすれば神とは何かということがはっきり分かる。神が全にして喜びであることが分かると言っているのです。
 ところが、キリスト教では心をかえることをしないのです。ただ、キリストを信ぜよ、罪を犯したことをあやまれということだけをいっている。これは、心をかえることにはならないのです。今までの自分の罪、科を謝罪したことにはなるでしょう。しかし、それでは精神を入れなおすことにはならないのです。そういう点がキリスト教では基本的に間違っているために、本当の神が分からないのです。
 人間は、現在生きていながら命が分かっていません。これが現在の人間の致命的な欠陥です。命とは何かということが、まるで分かっていない。命のことを考えないで、生活のことばかりを考えている。これはとんでもない間違いなのです。
 人間は生活するために生まれてきたのではありません。生活はしなければならないのですが、まじめに働く気持ちがあれば、ご飯は食べられるにきまっているのです。そこで私達は、現世に生きていることがらを通して、どうしても神という事実、神という真実をつかまえなければならないのです。
 神とは、宗教で考えているものとは違うのです。衣冠束帯の神ではありません。人間が生きているのは、神と対話していることなのです。皆様方の生活の経験は、そのまま神と対話していることなのです。寒い時は寒いように、暑い時は暑いように、食べるとか見るとかいうことは、神との対話になるのです。
 皆様方の魂は、ものを言う魂なのです。魂は言葉を知っているのです。皆様方の魂が何かを感じるということは、しやべっていることになるのです。空が青いことも、太陽が輝いていることも、皆神が語りかけていることになるのです。それに対して、魂は受け答えをしているのです。おいしいとか、美しいとか、暑いとか、涼しいとかを感じているのですが、これは知らずに神と対話をしていることなのです。これがはっきり分かれば、人間は死ななくてもすむのです。
 それに気づかずに、般若ということが分からず、心をかえることが分からず、ただぼやーと生きていれば、必ず死にます。ただ肉体が朽ち果てるというだけではありません。様方の魂がわりきれない迷いを持ったままで死ねば、その迷いで苦しまなければならないことになるのです。これが地獄なのです。
 現世で、神と対話をしていることを知らずに、魂の責任を果たさないでこの世を去れば、この世に生きていた時の税金を必ずとられます。苦しまなければならないことになるのです。これが地獄なのです。
 現在、神と対話をしているという事実をわきまえないで、この世を去るのですから、必ず生きていた時の税金をとられます。ですから、どうぞ生きているうちに、神という本当の真実を捉えて頂きたいと思います。




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