73般若心経を写経していますが、もう一つその意味が分かりません。どういうことでしょうか。
写経をされるということは、大変良いことだと思います。般若心経は二百七十六文字ですから、書いていますとおのずから意味が分かったような気がしてくるのです。はっきりと分からなくても、観自在菩薩 般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄と書いていますと、何となく空が直感的に感じられるような気がします。そういう意味で、写経は精神訓練に大変有効であると思いますが、それだけでは般若心経のムドが分かったというだけのことでして、悟りにはなっていません。
 悟りとは、初めからあったものを悟るということです。覿自在の自というのは、はじめという意味です。然という意味なのです。「おのずから」というのは、人が造ったものではなく、はじめから、元始から、又は太始からということなのです。元始、又は太始というのは、地球ができる以前ということです。

 親鸞上人は、本当の信心は、「おのずから」でなかったらだめだ。天然の心、天地の心が人間に理解できること、これが誠の信心だという意味のことを言っているのです。これが、今の坊さんには分かっていないようです。坊さんの悪口を言うつもりはないのですが、とにかく、本当の信心ということが分かっている人は、ほとんどいないようです。親鸞はこれを知ろうとして、大変苦労をされました。
 親鸞は言っています。はじめとは、「おのずから」であって、しからしむことだ。しからしむとは、正しいと認定するという意味です。自然の自とは、正しいと認定する意味なのだと親鸞は言っているのです。これが観自在の自に現れているのでありまして、これは地球ができる前のことです。天地ができる前のことなのです。皆様方がこの世に生まれる前のことなのです。これが、実は本当の真理なのです。
 禅宗の歌に、「闇の夜に鳴かぬからすの声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋いしき」というのがあります。生まれぬ先の父というのが、天地の心なのです。生まれぬ先の父が恋しくなるというのが、観自在の本当の意味なのです。これが、般若心経に空という字で現れているのです。聖書ではこれを復活という字で現しているのです。ただ般若心経の空だけでは、復活という意味がよく分からないのです。
 般若心経は、まず人間の妄念が間違いであることを悟ること、人間の常識が根本から間違っていることを悟ることが目的です。しかし、そこには救いはないのです。悟りはあるが救いがない。救いは聖書にあるのですから、
 聖書によって救いを得て頂きたいのです。まず、般若心経によって悟りを捉えて頂きたい。悟りなしに聖書を読んでもだめなのです。今のキリスト教は、悟りなしに、五蘊皆空という悟りなしに聖書を勉強している。だからだめなのです。いくら聖書を勉強しても、本当の復活が分かりません。
 仏典に、九識心王という言葉があります。六感が普通の人間の意識でありまして、これが第六識です。第七識というのが、理性的な物の理解のしかたです。第八識が悟りで物を見る見方で、これが阿頼耶識(あらやしき) です。この上に九識があるのですが、どうして九識ができるのか仏教では説明できないのです。
 聖書によれば、簡単に説明できます。これは神の御霊(みたま)を受けることになるのです。神の御霊を受けますと、人間の心の最高のレベルが分かるのです。ただ空であることが分かっただけではなくて、人間の命の真髄が分かるのです。これが心王です。こういうことは、聖書によって、神の御霊を受けなければ分からないのです。天地の心、宇宙の心を心としますと、初めて本当の神が分かってくるのです。
 自分が生きていることが、そのまま神と一緒にいることだということが分かるのです。だから死ななくなるのです。死ななくなるといっても、やがて心臓は止まります。肉体は消耗品ですから、顔に皺がよったり、心臓が弱くなったり、足が弱ったりします。これはしかたがないことです。自然現象によって、肉体の老衰はありますけれど、魂が死なないということなのです。
 魂が神を見つけますと、魂が死ななくなります。これが永遠の生命です。イエスは新約聖書の中で、私を信じるものは永遠に死なないとはっきり言っているのですが、これが実現するのです。その証拠にイエスは復活したのです。
 このように、悟りと、救いとは違うのです。まず般若心経によって空を悟ること、そして、聖書で神の命を悟ること、神の実物を悟ることです。天地を動かしている力、地球を回しているのは神の力ですから、神の力と皆様の命が同じものであることが分かれば、死なないことが分かります。
 皆様方の目が見えることは、宗教とは違うのです。経験なのです。事実なのです。この事実が神なのです。神は、概念でも信念でもありません。神とは、皆様方が生きておいでになるという事実です。神ということだけが、本当の事実です。これ以外のものは皆仮の姿です。学問でも、宗教でも、全部仮の姿です。神だけが、宇宙の実物なのです。
 現在、皆様は生きておいでになります。神を経験していらっしやるのですから、その実物をつかまえて頂きたいのです。写経は大いにけっこうです。ただ写経するだけではなく、もう一歩つっこんで、般若心経の真意をつかまえるような意味でのご勉強をして頂ければもっといいと思います。




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