71五蘊皆空とはどういうことでしょうか。
 人間は目で見たものが、そのまま存在していると考えている。これが五蘊の第一です。いわゆる色蘊というものです。色蘊が、五蘊の基本的な間違いになっているのです。
 ところが、人間は目で見た感覚だけで生きているのではないのです。例えば、人間は死にたくないと考えます。誰でも死にたくないと考えますが、この考え方は、目で見たとおりのものがあるという考え方と、正反対になるのです。目で見た感覚を、そのまま鵜呑みにしてしまいますと、死にたくないという考え方が成立しなくなるのです。死ぬのがあたりまえということになるのです。生あるものは必ず死する。形あるものは必ず滅することを認めると、人間は死ぬのがあたりまえということになります。
 ところが、死にたくないというのが、万人共通の願いなのです。これは、どちらかの考えが間違っているのです。人間は、精神構造が分裂しているのです。こういうことが幻覚なのです。まじめに考えているつもりでも、実は、矛盾した考えを鵜呑みにしている。これが、般若心経のいわゆる五蘊皆空なのです。
 目で見たとおりのものがあるという考えは、人間が生きている間は通用します。現在生きていることを人間の命だと考えると、目で見たとおりのものがあると考えるのが、正しいことになるのです。ところが、死んでしまわなければならないという事実も、又知っているのです。死んでしまわなければならないということを事実として考えますと、目で見たとおりのものがあるという考えは、間違っていることになるのです。
 そのように、人間の考えは、しどろもどろなのです。その時その時のつごうによって、言い分を立てようとするのが、人間の迷いです。
 人間は考え違いを基礎にして生きているのです。般若心経はそれを言っているのであって、日本人はなぜ般若心経に親近感、親和感をいだくのか。敬遠したくなる気持ちもありながら、一方で何となく引かれるものがある。日本人は、伝統的に空が何となく分かっているのです。
 人間の文明が、人間の本質を理解しないままで、生活の利便さ、専門学的な発展性だけを考えてそのくせ、文明は目的を持っていないのです。人間の生活を完全に保障するかというと、しないのです。一所懸命に人生問題を勉強しようと思うと、つい生活が脅かされるような気持ちがわいてくる。これは現代文明に生きていて発生する必然的な悩みでしょう。
 生命か、生活か。これが分かっていないのです。なぜかというと、現代文明には目的がないからです。専門学に目的がないのです。
 人間が現世に生きている人間の知恵には、限界があります。現世に生きているという限界があります。現世に生きているだけで物を考えますと、永遠が考えられないことになります。現世に通用するだけの理屈が、大変重大なことのように思えるのです。
 ところが、人間の理屈は現世に生きている間だけの問題なのであって、人間に死にたくないという気持ちが切実にあるように、人間の霊魂の本性は、現世だけで終わるものではないのです。そこに生活と生命との根本的な食い違いがあるのです。
 どちらが重大なのか、重要なのかということです。現在の学間を尊敬する場に立ちますと、文明主義になるのです。文明主義は目的がない思想になります。何のために人間文明がなければならないのか。現代文明はユダヤ人の世界観によってできていますが、永遠の世界観、価値があるとはいえないのです。ユダヤ人の場合でも、世界観、価値観が根本から変化する可能性は充分にあるのです。
 現代のユダヤ人の世界観が、現代の文明を造っているのです。これが事実なのです。これは文明ではありますが、歴史ではないのです。これが分からない。文明をうのみにしてしまいますと、トインビーのような歴史観になってしまうのです。トインビーは、文明の本質と歴史の本質の区別がついていなかったようです。
 現在の世の中には、社会主義が立派に存在するのです。ところが、社会主義の思想構造の根本は非常に浅薄なものであって、現在人間が生きているという感覚の世界でも、ほんの一部しか通用しない程度の思想なのです。それが、堂々と世界にふんぞりかえって、世界の多くの人を指導するような馬力をもっている。こういうものが文明なのです。
 文明に対する根本的な考え方を、変えてしまう必要があるのです。人間が本当の命を見つけるためには、本当の神を見つけなければだめです。
 神とは絶対であって、本当の絶対は、これしかないということなのです。例えば今地球が存在していますが、これは神を見つけなければ存在理由が分かりません。神を信じなければ、地球が存在することの目的を、つかまえることはできないのです。
 人間が存在すること、生きていることは、地球が存在しているからです。地球が存在する根本原理をつかまえようと思えば、神をつかまえるしか方法がありません。
 これをユダヤ人は全然知らないのです。彼らの宗教観念によって、かってに自分の神をつくっているのです。そういう考え方が、自分達の都合のいい文明をつくる結果になっているのです。
 ユダヤ人が普通の民族であるなら、何を考えようと勝手にしてもいいのですが、困ったことに、ユダヤ民族は全世界の指導原理をつかまえている世界の中心民族なのです。
 ユダヤ人が、専門学というアイデアをつくったのです。このアイデアが絶対であるというように、今の文化人は考えているのです。の最大の欠点なのです。文明には目的がないのです。歴史には目的があります。しかし文明には目的がないのです。
 歴史は人間が生きている事実です。これには目的があります。文明は人間が生活している状態なのです。それには目的がないのです。人間は、目的がある方の自分を自分だと思っているのか、目的がない方の自分を自分だと思っているのか、どちらかなのです。
 五蘊皆空とは、目的がない方の自分を基礎にした考え方の間違いを指摘しているのです。




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