70般若心経の言おうとしていることが、どうしても分かりません。
般若心経が分からないというのは、彼岸ではなくて、此岸の感覚で読んでいるからです。ところが、分からないではすまない問題であることを、まず承知する必要があるのです。分からないという牙城を、どのように攻めていけば、落城するのであろうか。分からないという常識、知識の牙城を攻めるためには、どこをどうつけばいいかを、積極的に考える必要があるのです。こういうことは、宗教では考えられないのです。
 人間は生きています。生命現象はあります。生活意識もあります。生活意識は生存意識とは違います。生活意識は、主観的な意識であって、生存という事実は、客観的な事実なのです。例えば、人間は空気も水も造っていません。ところが、空気や水を、どんどん消費しているのです。人の必要とする酸素は、毎日、金額にすれば、一万円ぐらいはするでしょう。それだけの量を、人間は毎日天物としてもらっているのです。
 大自然は、こういうものを、無料で提供しているのです。そういう大きい事実があるのです。だから、命は自分のものではないということが分かるはずなのです。
 太陽もそうです。太陽のエネルギー、暖かさ、光が何を意味しているのか。これは、実は、本当の命があることを、神が、太陽を通して、人に語っているのです。
 神とは、字のように、示し申すという意味であって、事実を示しているのです。事実を示すことによって、真実を人に語っているのです。太陽という事実を示すことによって、本当の命を人に語っているのです。これが神なのです。
 地球はただの惑星とは違うのです。地球全体が、生物なのです。地球は生きているのです。その証拠に、台風が発生したり、地震が発生するのです。地震現象は、地球が生き物であることを証明しているのです。火星や金星は、死物です。火星や金星には、生命現象は全くないのです。
 地球は、生命で満載されています。細菌から、鯨にいたるまで、生き物で満ちています。地球そのものが、生命体なのです。この地球で、人間は生きているのです。ところが、命が何であるかが分かっていない。
 これは、現代人の政命傷です。生きていながら、命が分からない。なぜこういうことになるのか。神が分からないからです。これは、キリスト教でいう神様とは違うのです。様をつける必要がないのです。

 人の心臓が動いていることが、神なのです。心臓を与えて、人に、命の実体を語っているのです。
 人は、神と共に生きているのです。生きているということが、神と共にいることなのです。神と共に生きていますと、現世で起こる矛盾は、全部消えてしまうのです。苦しみ、悲しみ、病気の問題、家庭の問題、社会の問題、国家の問題が、根本から消えてしまうのです。そうして、永遠の命を、現世で経験することができるのです。
 イエスという大工の青年が生きていたと同じ感覚で、生きることができるのです。そのためには、まず般若心経によって、空を味わわなければならないのです。
 空を味わうとは、主観的に生きている自分の認識が、間違っていることを、はつきり認めるということなのです。そうすると、なぜ神が人間を生かしているのか、毎日、一万円もする酸素を、なぜ無料でくれるのかということが、分かるのです。
 人間は万物の霊長であって、人の理性は、まだ神を知っていないのです。理知性が充分に開発されていないからです。
 霊という実体が分からないのです。人間がどうしてできたのか。地球がなぜ宇宙に存在するかということです。こういうことが充分に分かる可能性があるのですけれど、現世の人間の業にとらわれているために、本当の理知性が、開発されていないのです。だから、神が分からないのです。神が分からないから、命が分からないのです。何のために生まれてきたのかということさえも、分からないのです。
 今までの人間文明が、非常につまらないものだということに気がついて、不完全な自分を解脱したいと、考えなければいけないのです。




[PR]動画