69釈尊が言われた天上天下唯我独尊を、どう考えたらよいのでしょうか。
これは有名すぎるほど有名な言葉ですが、有名すぎるために、かえって分からなくなっているのです。これは、真言の陀羅尼のようなものだと言えると思います。
 天の上にも、天の下にも、我ただ一人尊しというのですから、理屈のつけようによって、大きくも、小さくもなります。
 又、釈尊の一代記を読んでみましても、釈尊が生まれた時にそのような言葉を言われたということですが、生まれたての赤ん坊が、天上天下唯我独尊という言葉を知っているかどうか、おかしいのです。超人であるなら、そういうことはありうるかもしれません。
釈尊が生まれたときに、天上天下唯我独尊という大きい言い方をしたこと、それからイエスが生まれた時にメシヤの星が輝いたということ、この二つの問題は、非常におもしろい対称になると思います。

 天上天下唯我独尊を聞いて感じることは、魂ほど尊いものはないということです。魂は、命という訳もできます。又、精神、心とも訳せます。いろいろな訳し方ができますが、人間の魂は、その人にとって、尊い貴重なものです。
 魂の本性は、神の子です。なぜ神の子であるかといいますと、神から出てきたものだからなのです。「万物は神から出て、神によりてなり、神に帰する」(ローマ人への手紙11・36)とパウロは言っていますが、人の命は、本来神のものだといっているのです。神のものというより、神の本質をそのまま生きうつしにしたのが、魂なのです。
 従って、魂の本体がよく分かりますと、神の実体が分かってくるのです。だから、魂のことは、自分自身でよく知っているのです。
 これを学ぶと、63億の人類全体が、一つの魂の中に入ってしまうのです。これが、キリスト意識なのです。63億の人間の命が、一人の魂の中に集約されてしまう。こういう受け取り方が、魂に対する本当の理解なのです。魂を、自分一人のものだと考えることは、大変な間違いなのです。だから、魂を大切にしなければならないのです。
 私が生きていることは、皆様が生きていることと、同じなのです。

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