66般若心経を写経、読誦しても、迷いを解決することができません。どうしたら迷いから出ることができるのでしょうか。


 例えば、芭蕉の句に、「名月や池をめぐりて夜もすがら」というのがあります。芭蕉は、名月を見て、あまりの美しさのために、池をぐるぐると、夜通し回っていたのです。それは、芭蕉の心に、神の命の実体の一面が、投影したからです。月を媒介にして、宇宙の命の片鱗が、芭蕉の心に映ったのです。そこで、見ていても、見ていても、月の光から離れることができなかったという句が、できたのです。
 もし、何か思い悩むことがありましたら、花、雪、雲、雨、ただの松の木でも、梅の木でもいいですから、自然現象に目をつけるのです。静かに、自然現象を見ていますと、自然現象の中から、人に呼びかけている、本当の命の光が、何となく感じられます。
 花を見て、なぜ美しいと思うのか。美しいとは一体どういうことかを静かに考えますと、人の中に、生まれる前の命があることが分かるのです。
 肉の思いを持つまでの自分、この世の業の下にある自分ではなくて、生まれる前の、清浄潔白な魂の本当の姿が、人の中にあるのです。これを見つけるのです。こういうことを難しいと考えるのは、生まれた後の、常識なのです。常識で考えれば、分からないのです。
 しかし、目が見えること、砂糖をなめれば甘い味がすることが、生まれる前の、観自在の命です。そのような気持ちで、自分が現在生きている状態を、ごらんになりますと、心がやすらぎます。
 そういう気持ちが、色即是空が分かる最初のあり方なのです。これ以外に、迷いを解決する方法は、ないのです。

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