64どうしたら般若心経の上智に到ることができるのでしょうか。
 上智とは、普通の人間の常識ではありません。又、叡智でもありません。もっと上等なものです。仏教では阿頼耶識という言い方をしていますけれど、人間の心臓が動いていること、目が見えることが、上智の本質なのです。
 人は何げなく物を見ています。しかし、目で物を見ていることの本体を知らないのです。実は、人間は、自分の力で目を造ったのではありません。目を与えられたのは、天からの力です。天から与えられたのに、天の心を知らないで、見ているのです。花を天の心で見ますと、花が咲いていることの命の世界が早えてくるのです。ところが常識で見ていますと、花は見えますけれど、花が咲いている世界、花が咲いている命の世界が見えないのです。これが、上智と、上智でない世界の違いなのです。
 最初から上智にかわることは、無理です。まず考えなければならないことは、五蘊皆空は本当らしいということです。人間の常識、知識が五蘊であって、五蘊は、命のためには全く何もならないのです。

 今の日本の大人の考え方は、全く何もならないのです。何もならないだけでなくて、毎日罪をつくっているのです。その結果、死んでからの世界が、まっ暗になるのです。お先まっ暗の状態で生きているのが、世間並の人生です。これをやめることです。自分の霊の行く先がはっきり分からないのは、命についての考え方が、間違っているのだというように、単純に考えて頂きたいのです。
 幼稚園の子供のような気持ちになると、上智が分かってきます。まず、大人の欲望第一、利害得失のソロバンをはじく気持ちを捨てることです。人が自分の気持ちを理解してくれなくても、陰で悪口を言われても、そんなことに、一切耳をかさないことです。
 この世において、成功しようとか、失敗したら困るとかいうことを、全然考えないことです。人間は、この世に生きるために生まれてきたのではないのです。
 般若ハラミタが、人生の目的です。これは、宗教ではないのです。この世に生きていても、何もならないのです。この世に生きていて、一体何をしてきたのか。ただ、罪をつくつただけです。
 人間が、この世に生まれてきたことが、業(ごう) なのです。この業をすててしまわなければ、本当の命を見ることはできないのです。そのためには、幼児のような気持ちになることが第一です。天に対する謙遜が必要です。自分に命を与えてくれたものに対して、へり下った気持ちを持つことです。
 自分が生きているという考え方が、一番悪いのです。命は自分のものではありませんから、命を自分が勝手に用いてもいいと考えないことです。自分の霊魂について、かれこれ言われたくないという自尊心が、一番あぶないのです。
 幼稚園の子供のような、素直な気持ちになればいいのです。これを持てば、般若ハラミタの上智は、必ず分かるのです。
 以前、京都南禅寺の、勝平宗徹管長が、首をつって死にました。仏教の悟りは、こんなものなのです。命が分かっていれば、死ぬ必要はなかったのです。
 宗教は、善悪利害ばかりを考えているのです。宗教でいくら悟ってもだめです。釈尊の悟りは、宗教の悟りではないのです。釈尊の悟りが説明できる坊さんが、日本にはいないのです。
 釈尊は、明けの明星を見たのです。明けの明星が分かる僧さんは、日本には一人もいないのです。どうせ勉強するなら、仏教ではなく、仏法を勉強して下さい。仏法を勉強すれば、キリストが分かるのです。宗教は、すべて、妄念です。そんなものを信じないで、まず、幼稚園の子供のような素直な気持ちになることが、上智を学ぶ基本です。



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