57禅の公案に隻手音声とありますが、どういう意味でしょうか
 仏法的な言い方をしますと、真如というのがありまして、真如というのは、真(まこと)のごとく来るという意味です。昔の琵琶歌の文句に、真如の月の影きよくというのがありましたが、月の光は真が現れている。如とは本質がそのままという意味で、真がそのまま現れたものが、真如の月なのです。月の光は、人間が考えているようなものではありません。真そのものを、そのまま人間に知らせているのです。芭蕉はこれを見て感心したのです。
 般若心経に色と空という言葉がありますが、色とは森羅万象のことです。森羅万象の本質は何かといいますと、真如そのものなのです。月の光だけでなく、花でも、雪でも、犬も猫も、人間の肉体も(詳しくは生理機能と心理機能が形をとったものという意味です)、真そのものが現れているのです。
 真は形がないものです。無形のものが、有形として現れている。これを真如というのです。仏教では、真がどうして有形的に現れているかということを、説明ができないのです。皆様の精神、世界観や価値観は、皆様の思いから出ているのです。しかし皆様の肉体は、皆様の思いから出ていないのです。
 真が皆様の肉体として、有形的に現れているのです。このことを般若心経では、空即是色といっています。空なるものが有形的に現れている。これが真如なのです。花が咲いていることが真如です。人間の肉体があることが真如です。従って皆様がご存じであっても、ご存じでなくても、真如の姿で生きていらっしゃるのです。ただ物の考え方が間違っている。これが肉の思いです。
 肉の思いというのは、自分のイマジネーション(Imagination) のことです。人間の心理作用から発する思いです。英語でソート(thought)というものです。思いがイメージ(image)をつくっていくのです。心から出る人間の思いが、イマジネーションをつくっていくのです。これが肉の思いなのです。人間は肉体があると思っていますが、これは人間のイマジネーションであって、本当は肉体はないのです。ただ生理機能と心理機能が形をとっているだけなのです。
 マルクスは弁証法的唯物論と言っています。弁証法というのは、流れ動いている。流れ動いている形で、物質があると考えているのです。流れ動いているということが、物質存在の原点だと考えるのです。
 そうすると、おかしいことになるのです。流動していることが物質の原点であるとすれば、物質が固形的に存在していないことになるのです。
 流動的というのは、固体的でも固形的でもない状態です。そうすると、唯物論という言葉が使えなくなるのです。弁証法という言葉を使うとすれば、唯物史観という言葉が通用しなくなるのです。物が歴史をつくるという考えが唯物史観ですが、物は存在していない、弁証法的に流動するといぅことが物であるのです。そうすると、物はことがらなのです。ことがらとは霊です。霊とは物と心の両方が一つになっているのです。ことがらは物質ではありません。従って、唯物史観という考え方が、哲学的に成立しなくなるのです。
 弁証法的に物が存在するとすれば、唯物ということが言えなくなるのです。流動することが物ですから、唯物とは言えなくなるのです。弁証法というのは存在する正確な見方ですが、唯物と矛盾するのです。ここにユダヤ人の見えすいたテクニックがあるのです。
 マルクスがなぜそんなバカな論理を言ったかと言いますと、ユダヤ人から見ると異邦人は理性を充分に使いこなすことができない人間だと見ているのです。だから弁証法的唯物論という矛盾した命題を出しても、異邦人はそれを飲みこむだろうと考えた。異邦人はそれを見事に飲みこんでしまったのです。
 ユダヤ人から見ると、異邦人は動物みたいな存在です。人間が動物を搾取するのは、あたりまえとなるのです。ユダヤ人は日本人に対して、露骨にそういう言い方をしていませんが、ヨーロッパ社会ではそういうことを盛んにしてきたのです。その結果ポグロムが頻繁に起きたのです。ダーウィンの進化論、フロイドの性科学、マルクスの弁証法的唯物論、アインシュタインの相対性理論等は、人間の命の本質に対してあってもなくてもどうでもいい理論ですが、そういう理論が世界に広がったことによって、文明が支配できるのです。ユダヤ人はこれをねらっているのです。
 大学制度をつくったのはユダヤ人です。大学制度をつくることによって、全世界の文明のリーダーシップをとることができるのです。
 アメリカはそういう形で、ユダヤ人の支配下になった。ヨーロッパもそうなったのです。
 現在の世界文明は、どうでもいいアイデアに基づいている。自由主義、民主主義、資本主義、社会主義、というアイデアを、人々は信じているのです。人々は、そういう主義が絶対のものであるかのように、思いこまされているのです。人間は自由であってもなくても、死んでいくのです。自由主義、民主主義という政治的なアイデアを全世界にばらまく、学理学説、思想をイデオロギーとしてばらまくと、人間は盲目的に信じこむのです。
 近代文明の世界観は、どうでもいいものを有難いもののように、言いふらしているのです。そういうものがなければならないように、考えさせられているのです。唯物史観も、自由主義、民主主義も、人間の魂には何の関係もありません。ユダヤ人はそういうもので、現象生活に規範をもうけているのです。全世界の人間は、それにひっかかっているのです。
 ユダヤ人はそういう悪いことばかりをしているかというと、そうではないのです。旧約聖書というすばらしい原典を地球上に残してくれたのです。もしユダヤ民族がいなかったら、神の実体が何なのか、地球がなぜ存在するのか、人間の本性は何であるかが、全く分からないのです。旧新約聖書を棚上げしてしまいますと、仏教とかイスラム教、中国の思想、日本の思想を、どれだけ勉強しても、命の本質は絶対に分かりません。地球がなぜ存在するかということは、皆目分からないのです。

 神の地球計画は、たった一箇所聖書に掲示されているだけです。これをユダヤ人は押さえているのです。
 ユダヤ人は、モーセの十戒を今でも実行しています。モーセの十戒を実行しますと、生理衛生的な意味での家庭生活のしかたが、普通の人間のしかたとは違ってくるのです。経済的、家庭的、心理的に、別の人間になるのです。それによって、ユダヤ人という優秀な民族ができたのです。ユダヤ四千年の歴史によって、他の民族とは全然違った、優秀な民族をつくってしまったのです。彼らは日本人のようなだらしがない生き方をしていないのです。モーセの捉をしっかり勉強しますと、ユダヤ人の本性が分かるのです。
 現在の世界では、流動しているものが止っているように見えるのです。皆様の肉体は、流動しているのです。例えば、鼻から息を出し入れしています。血液が循環しています。これが人間の肉体になっています。
 呼吸機能は、肺と心臓によって成り立っています。肺臓と心臓の働きが、人間になっています。その他に、消化機能とか排泄機能もあります。こういう働きがなぜあるかということです。これがいわゆるエネルギーの現象なのです。これが真です。
 真は地球ができる前にあったものです。現象世界が発生した時に、真が消えてしまって、空になったのです。空の実質が色として現れているのです。これが空即是色です。
 だいたい宇宙には、人間という生物、桜の木、松の木、犬や猫がある必要がないのです。森羅万象は、銀河系宇宙には必要がないのです。銀河系宇宙はだいたいガス体の集合でありまして、消えたり現れたりをくりかえしているのです。これが惑星です。恒星でも消えてしまうでしょう。
 やがて太陽も消えてしまうでしょう。これが宇宙現象であって、宇宙には桜の花が咲くとか、果物ができるとか、家畜がいるという必要がないのです。ましてや、人間がいて、政治とか経済とかいう理屈を並べるのは、宇宙には何の関係もないことです。
 なぜ地球という物質現象があるのか。地球と地球の周辺の惑星にだけ、物質現象があるのです。その他には物質現象はありません。それをあるように言いふらしている人がいますが、これがユダヤ人のテクニックなのです。聖書の原理をごまかそうとしているのです。最終的に、イエス・キリストの復活を、否定しようとするユダヤ人がいるのです。
 現在の地球は未完成です。砂漠がある、地震がある、疫病がある地球は、未完成なのです。隠れていたものが、現象世界が存在する前にはあった。現象世界が現れると同時に、真理が現象体になって現れたのです。空が色として現れたので、空が見えなくなった。隠れたのです。色が現れるまでは、見えない形で空は存在して.いた。その空が色に化けたことによって、空がなくなったのです。色というもの、森羅万象は何かといいますと、空が化けているのです。
 人間は存在していない。人間であることが、人間があるとして出ているのです。皆様がお生れになる前に、人間としてお生れにならねばならない必然性があったのです。生れる前の自分がなければ、今の自分があるはずがないのです。原因がなければ、結果はないのです。空がなければ色はあるはずがないのです。
 そうしますと、私達が見ている現象は一体何かということです。家がある。道路がある。山がある。川がある。これは空が色になって現れているのです。
 空というのは一つの手です。色というのも又一つの手です。これが合わさったのが、現象世界です。色だけがあるのではない。真なるものが、如として来ているのです。私達が見ている現象世界は、如来を見ているのです。現象が如来なのです。これを華厳経では、遍照金剛とか、大日如来とかいいます。
 だから、現象だけを見て、空があるに違いないことが悟れたら、片手で声を聞いたと同じことになるのです。
 空がなければ色はない。私達が見る現象世界は、大日如来が拍手しているような世界で、これが森羅万象として現れている。色の世界を見ることが、そのまま空の世界を見ていることになる。片手を見ただけで、両手の声を聞いているのと同じになる。これが仏の悟りです。観世音の悟りはこれだ、観自在菩薩の悟りはこれで、般若ハラミタの境地であるというのです。これが仏教でいう片手の声、隻手音声です。
 聖書で言う片手の声になりますと、このスケールが格段に大きくなるのです。色即是空、空即是色は、理屈では言いますけれど、本当に色を見て空を悟っている坊さんは、日本にはいません。本当に悟っていたら、仏教界にはおれなくなるのです。仏教という商売が成り立つというのは、空が本当に分かっていないからです。現象世界を見て、本当の空が達観できたのなら、片手の声を聞いたことになる。これは仏教の概念としての片手の音声です。
 聖書の方になりますと、森羅万象があるということは、世代があることなのです。見えないはずのものが、見える世代として現れているのです。
 宇宙には、森羅万象はいりません。それなのに、犬がいる、猫がいる。牛も馬もいる。これは一体何かということです。犬や猫が現れなければならない必然性があるのです。鳥にもたくさんの種類がいるのです。昆虫は七十五万種類もいるのです。動物だけでも、百五十万種類もいるのです。どうしてこんなに多くの生き物がいるかということですが、これが人間の魂に関係があるのです。
 人間の魂に、多くの種類があるのです。神がそれを、生物として現しているのです。人間の根性を、色々な生物で現している。一番上等の根性になればいいのです。
 色々な根性を持った人間が、黄泉(よみ)で眠っていますが、これが全部よみがえる時が来るのです。これが霊魂の裁きです。これと森羅万象とは大関係があるのです。
 皆様が目の黒いうちに、ご自分の霊魂を完成しておけば、鳥獣の上に立つことができるのです。一度この世に生れた霊魂は、もう一度出てこなければならないのです。これが本当の意味での輪廻転生です。
 この世で人間が生れ変るのとは違います。現在の地球が過ぎ去った後に、新しく完成された状態の世界に、よみがえるのです。その時に、皆様がどういう位置におかれるかは、現世での修養の状態で決まるのです。
 地球も人間も新しくなります。今見ている地球も人間も、全部仮の存在です。本当の人間も、本当の地球も、まだ現れていません。それは聖書に記されているのです。聖書を勉強しなければ、神の国は分からないのです。
 私達が見ている地球は、実は神の経綸が現れているのです。そういう意味で片手が鳴っているのです。森羅万象の存在を、皆様は見ておいでになりますが、森羅万象とは一体何でしょうか。何を見ているのでしょうか。実は、森羅万象は、神が化けているのです。神が現れているのです。神が、千差万別の形で、自分を現しているのです。神の自己顕現が、森羅万象なのです。これが仏典で言う如来なのです。
 皆様は桜の花を見ます。鳥や動物を見ます。それは神を見ているのです。人は神と共に生きています。人が生きていることの実体が神です。新約聖書はこれをインマヌエルと言っています(マタイによる福音書1・23)。人間もない。草木もない。猫も犬もない。神の経綸を見ているのです。仏典的に言えば、大日如来のすばらしい業を見ているのです。しかし大日如来は実在していません。聖書にあるエホバという神は、「有る」(空であって、具体的に実在しているのです。大日如来は存在していませんが、「有る」(is)という神は、実在しているのです。この神をつかまえて頂きたいのです。これが、聖書から見た隻手音声なのです。現在、神の経綸が、約束として今の地球に現れています。旧約聖書、新約聖書は、これを書いているのです。古い約束と、新しい約束とがあるのです。この約束の中心民族が、ユダヤ人です。神がアブラハムに約束を与えたというのは、この民族を中心にして、全世界の歴史を経綸しているという意味です。
 今のユダヤ人は、廃嫡(はいちゃく)されていますが、なお現在も確固たる実力を持っています。神はユダヤ人を廃嫡した。廃嫡されたユダヤ人が、なお政治的、経済的に、世界を牛耳っているのです。そこで、この民が本当に神を信じる時代が来ると、地球はどれほどすばらしいものになるでしょうか。私達日本人は、ユダヤ人が廃嫡されているおかげで、聖書の奥義を知ることを、許されているのです。ユダヤ人が廃嫡されているから、御鉢が回ってきているのです。
 やがて、ユダヤ人が目を覚ます時が来るでしょう。ユダヤ人が目を覚まして、本当のキリスト計画が分かる時に、世界はどのようになるのでしょうか。とても想像ができない状態になるのです。これは、私達が信じても信じなくても、事実です。ユダヤ人が目を覚まして、今までしてきたことが悪かったという時が、必ずきます。そうすると世界の歴史が根底から新しくなります。これを私は心から願っているのです。ユダヤ人に本当の歴史の見方をしてもらいたい。これは神の願いです。だから、必ず実現します。
 皆様がこれに協力して頂ければ、大した功績になるでしょう。やがて皆様は神の一族として、肉体そのものが変ってしまうでしょう。皆様の肉体は、キリストの復活の栄光体に変化する可能性があるのです。キリストの復活がはっきりお分かりになれば、皆様の肉体が変るのです。その時、皆様は、思想的にも肉体的にも、完全に死なないものになるでしょう。そこまで行けるのです。行ける可能性が充分にあるのです。
 これが本当の人間完成です。イエスがその見本を示しているのです。イエス・キリストの復活は、皆様が完成される姿を、一足先に実現して見せたのです。これ以外に、人間完成はないのです。
 そのためには、今まで皆様が生きておいでになったことが、空であることを悟って頂きたいのです。般若ハラミタを悟って頂きますと、初めて、イエスの復活が分かるのです。自分の考えが間遠っていたことがはっきり分かるまでは、イエスの復活の実物をつかまえることはできません。般若ハラミタが土台になる。そうしてイエスの復活の実体をつかまえることができるのです。



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