22般若心経の色即是空は分かりますが、空即是色が分かりません

 色即是空ということ、現象世界はむなしいということは、理屈でも分かります。花は咲いていても、やがて散ります。人間は生きていても、やがて死にます。色即是空は常識でも分かることなのです。ところが、空即是色が分からないのです。
 色とは、目に見えるもの全体をさしているのです。目に見えるものには、皆色があるのです。現象的に存在する万物を、色と言っているのです。色が空しいことは分かります。しかし、なぜむなしいものが、わざわざできているのかということです。この説明が、できないのです。

 空即是色というのは、因縁がそうなったのだと、日本人の常識では考えるのです。それ以上のことは、説明ができないのです。ところが、空が色に現れなければならない理由があったのです。
 色即是空よりも、空即是色の方が、はるかに大きいのです。色即是空の悟りは、現世に生きている人間の悟りなのです。空即是色は、現世をのりこえてしまった人間の悟りなのです。現世をのりこえてしまいますと、万物がなぜ万物として現れているかが分かるのです。
 太陽系の中でも、花が咲いたり、鳥が鳴いたりするのは、地球だけなのです。ロシアの宇宙探測機が、金星に軟着陸しましたが、生物は全くいなかったのです。火星や金星に、物質があるだけでも不思議なのです。物体的な惑星があるだけでも、太陽系の宇宙は不思議なのです。太陽系以外の外宇宙は、ガス体ばかりなのです。固体は何もないのです。
 ところが、地球には、固体があります。固体どころか、万物、森羅万象が満載されているのです。海という大きな水溜があるのは、地球だけなのです。
 こういう不思議な現象が、どうして地球にあるのかということが、空即是色の重大な意味になるのです。どうして神が地球を造らなければならなかったのか。神とは、命です。命である神が、どうして地球を造らなければならなかったのか。
 地球には、63億の人間がひしめきあっていますが、人間が地球に生まれたために、色々な苦労をしなければならないのです。業を背負わされて、病気とか、子供が言うことをきかないとか、商売がうまくいかないとかいう苦労は、何のためにあるのかということです。そういうことの本質を究明するためには、まず色即是空が分からなければならないのです。こういうことは、般若心経だけでは分からないのです。
 本当に信用ができるのは、仏法と聖書だけです。聖書はキリスト教の教典ではなくて、神の約束なのです。釈尊の悟りと、約束の二つがいるのです。
 日本には、仏教はあります。日蓮、法然、道元、その他の人々が、仏教に対する解釈を説明したのです。これが、日蓮宗になり、浄土宗になり、禅宗になっているのです。これが宗教です。
 日本には、宗教はありますが、太当の悟りはないのです。はっきりと、空を説いている人はいないし、命の説明ができる人はいないのです。
 昔は良かったのです。「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。」このいろは歌に、空が出ているのです。日本文化の良さは、空なのです。

 お茶をたてる人は、本当に心をしずめて、たてて下さい。お茶をたてるとはどういうことか、茶の心はどういうものか。利休が言った一期一会は、何を意味するのか。こういうことを、じつと考えるのです。
 利休は、野の花は、水に浮かべるごとく活すなりといっていますが、形を色々とひねり回さなくてもいいのです。水に浮くようにいければいいのです。茶をたててのむことの中に、般若心経の心が、ぴたっと合うのです。だから日本人は、般若心経をかわいがるのです。
 般若心経を愛するなら、空という文字を愛するのです。今までの自分の常識を、解脱するのです。そうすると、本当の幸せが分かるのです。常識で生きていると、必ず不幸があります。苦しみがあり、悩みがあるのです。




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