53般若心経の中の色即是空と空即是色の関係が分からないのです。
色即是空ということは、現象世界はむなしいということで、理屈でもだいたい分かるのです。花が咲いてもやがて散ります。人間もやがて死にます。だから、色即是空の方は常識でも少しは分かりますが、空即是色の方は分からないのです。色というのは、目に見えるもの全体をさしているのですが、色はむなしいということは分かります。しかし、色がむなしいのなら、なぜむなしいものが、わざわざできているのかということです。
 日本人の常識では、空即是色とは因縁がそうなったとしか言えないのです。日本人にはそれ以上のことは分からないのです。ところが、空が色として現れなければならない本当の理由があったのです。色即是空よりも、空即是色の方がずっと大きいのです。
 色即是空とは、現世に生きている人間の悟りです。空即是色というのは、現世をのりこえてしまった人間の悟りなのです。現世をのりこえてしまうと、万物がなぜ万物として現れているかが分かるのです。
 太陽系といいましても、花が咲いたり、鳥がないたりするのは、地球だけです。ロシアやアメリカの探査機が、火星や金星、木星にいっていますが、そこには生物は一匹もいないのです。物質があるのがまだ不思議なのです。
 この宇宙に物体的な惑星が存在することが不思議なのです。太陽系以外の外宇宙は、ガス体ばかりなのですから、固体はないのです。
 地球には固体があります。これが不思議なのです。地球には、固体どころか、森羅万象が山程あるのです。海があります。こんな大きな海がある惑星は、宇宙広しといっても、地球だけなのです。そういう不思議な現象が、どうして地球にだけあるかということです。こういうことが、空即是色ということに、重大な関係があるのです。
 なぜ神が地球を造らなければならなかったのか。神とは命です。命である神が、どうして地球を造らねばならなかったのか。この地球に、人間が五十六億人も生きているのですが、地球ができて、人間として生れてきたばかりに、色々な苦労をしなければならないのです。業を背負いこんで、病気とか、子供が言うことを聞かないとか、商売がうまくいかないとか、色々な苦労があるのです。そういう苦労がなぜあるかということです。この本質を究明するためには、空即是色が分からなかったらどうしても分からないのです。しかし、これは、般若心経だけでは分からないのです。
 世界で本当に信用ができるのは、仏法と聖書だけです。聖書とは、キリスト教ではない聖書を言うのです。
 神の約束と釈尊の悟りです。この二つがなければ、空即是色は分からないのです。ところが、日本人はこの二つを知らないのです。
 本当の釈尊の悟りは、日本にはないのです。仏教はあります。日蓮とか、法然、道元が、自分自身の仏教に対する解釈を説明したのです。これが、日蓮宗、真宗、禅宗になっているのです。これは、釈尊の本当の説とは違います。
 仏教は、釈尊の説を基準にして、人間自身の思想を説いているのです。日本に宗教はありますが、釈尊の本当の悟りはないのです。宗教ではない般若心経はないのです。
 はっきり空の説明ができる人は、日本にはいないのです。命の説明ができる人は、それ以上にいないのです。
 空即是色というのは、命なる神が、人に命を教えるために、色として現れたのです。目に見えるものが色です。これを実体だと思うのは、人間が考えた発想ではなくて、悪魔の反逆によってできた思想なのです。この悪魔の考えが間違っていることを教えるために、人間に肉体が与えられたのです。目に見える世界が実体ではなくて、空の世界が実体である。この空の世界が現れたものが、空即是色なのです。
 物があるのではなくて、命があるのです。物の世界をこえて、命の世界を見つけることが、人生の目的なのです。




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