50彼岸に立つにはどうしたらいいのでしょうか。
現在の日本人で、彼岸が分かる人は、めったにいないのです。一万七千六百巻と言われる仏典には、魂という字がないのです。なぜかといいますと、釈尊は人に教えるために説いたのではないのです。現世は空しいものだといったのです。
 明けの明星の世界が、真理の世界だといいたかったのです。ところが、明けの明星の世界、華厳浄土の世界は、少々話をしても、とても分かるものではないのです。
 華厳浄土の世界は、神の国ですから、その話を釈尊はしたのですが、聞いた人は、何のことか分からなかったのです。釈尊は、明けの明星を見て、朝日を悟ったのです。朝日とは、来たらんとする新しい世界です。釈尊はこれを直感し大変なことだと分かったのです。だから、現在まで生きてきた自分の命、現世に生きていることが、一切空だとはっきり分かったのです。
 やがて現れる華厳浄土が、すばらしいものだとはいったけれど、すばらしい、大したものだというだけでは、何がすばらしくて、何が大したものか、さっぱり分からない。聞いている人達が、ぽかんとしていたのです。
 釈尊は、これは困ったことだと思った。華厳の話をしても分からない。神の国が来るといっても分からない。一番難しい華厳経を最初に説いたのですが、さっぱり分からないものですから、次に、一番やさしい阿含経を説いたのです。そこで、仏教という経典になってしまったのです。一番最後が法華経になっているのです。
 一万七千六首巻の経典は、要するに、現世は空しいものだ、現世に生きていることは空しいものだといっているのです。
 この世に生きている人間は、全部死ぬのだ。死んでしまうまでに、空じてしまえ、自分自身を空じてしまえといっているのです。般若ハラミタばかりを言っていたのでは、いよいよ分からないから、般若経を説いたり、法華経を説いたり、色々な説き方をしたのですけれど、結局釈尊が説いたのは、現世は空しいものだということを、何回も言ったのです。現世があると思っていると、とんでもないことになるということを、言いたかった。これが観世音の思想なのです。
 しかし、本当の朝日がのぼることを、釈尊は言わなかった。釈尊は、明けの明星を見たのです。を見たのです。やがて、救主が来ることを見たのです。
 新約聖書を見て、初めてこの意味がはつきり分かるのです。黙示録で、イエス・キリストが、私は輝く明けの明星であるといっているのです。(22・16)釈尊は、イエス・キリストを見たのです。このことを、世界中の宗教家は、全然分かっていないのです。
 釈尊は、やがてキリストが来ることを言おうとしたのです。だから、キリスト以外の何を信じても空だといいたかったのです。これは仏教ではありません。キリスト教ではないキリスト、仏教ではない釈尊の悟りは、きちっと合うのです。東洋文明の大原則と、西洋文明の大原則は、きちっと一致するのです。これが、本当の文明なのです。
 現在の文明は、根本から間違っています。現在の文明は、人間に欲望を与えます。第一にセックスを与えます。第二にスポーツを与え、第三にスクリーンを与えます。スクリーンとは、映画、テレビのことです。この三つに、世界中の人間が一生懸命になっています。しかし、これは目的を全然持っていないのです。ただ欲望ばかりです。
 現代文明は目的を持っていない文明です。皆様が生活していても、目的がないのです。生きていても、何もならないのです。七十年、八十年の人生を、全くむだづかいしているのです。
 今の日本人の生活は、霊魂のむだづかい、命のむだづかいばかりをしているのです。その結果、霊魂の裁きが、必ず行われることになるのです。
 花があるとします。花には、前世の因縁、地球ができる前のファンデーションが、現れているのです。地球ができる前のエネ〜ギーが、現在の地球にあるのです。それが、花になって咲いているのです。
 皆様の五官の働きは、霊魂の働きです。人間の霊魂の働きは、生れる前の働きなのです。生れる前の五官の働きが、生れる前の花を見ているのです。これが彼岸に立つ見方なのです。
 女性ができたのは、地球ができる前、前世なのです。前世にできた女性を、現世で見ているのです。現世で男が見ている女性は、全然間違っているのです。前世の見方をしなければいけないのです。
 現世の女性の見方は、全く間違っています。女性の見方が間違っているというだけで、男は地獄へ行きます。女性を根本から見直さなければならないのです。
 前世のまなこを開くのです。そのためにどうするかというと、皆様の五官をじっくりと見るのです。皆様の魂をじっくりと勉強するのです。そのためには、キリスト教ではない聖書を勉強するしかないのです。




[PR]動画