46釈尊の死後すでに二千五百年もたっているので、一体釈尊の本当の教えは何かということをつかむのは、なかなか難しいのではないかと思います。
釈尊が大悟解脱して、説法したのが華厳経だといわれていますが、これも言われているだけでありまして、釈尊の本当の思想が何であったのかということにつきましては、現代ではほとんど分からない状態です。
 仏教経典が編集されましたのが、編集というより結集といっていますが、これがアショカ王の時代でありまして、釈尊がなくなってから五百年もたっているのです。そんなわけでありまして、釈尊の真意が何であったのか、分かりにくい状態になっているのです。
 仏教の各経典の最初には、如是我聞という言葉がついています。私はこのように承った。私はこのように聞いたというように、それぞれの人が、それぞれの思想を、自分の主観において述べている。阿含経は小乗仏典ですし、華厳経は大乗仏典ですが、華厳経はちょっと難しすぎますので、阿含経のように、人間の生活を原理にしたものが釈尊の思想ではないかと思われるのです。
 般若心経というものも、これ又、いつごろ編集されたものかということは、はっきり分かりません。だいたい千八百年から千九百年位前だろうと思われますが、この仏典をとりあげたのは、阿含経、華厳経、大日如来経、法華経、般若経という大経典の思想を凝縮しますと、般若心経という結論になってくるからです。
 人間が空であることは、宗教ではありません。人間が現世に生きているのは、全く空です。人間の魂がこの世に出てきたのは、現世で生を楽しむためではありません。神を経験するためなのです。
 神を経験して、自らを完成するためなのです。イエスはこれを成し遂げたのです。
 イエスは、自分が生れてきた目的をはっきり確認して、自らを完成したのです。完成した証拠に、復活したのです。死をはっきり破ったのはイエスだけなのです。
 私達は、死を破ろうと思えば、気にいってもいらなくても、イエスを受けとる以外に方法がありません。釈尊も死を破ったというしるしはありません。ただイエスにおいてだけ死が破られている。
 日曜日というのは、イエスが復活した記念日なのです。イエスの復活記念日を、世界中の人が守っているのです。このように、イエスを受けとれば、死がなくなってしまうのです。
 ところが、イエスを受けとるためには、どうしても、まず自分が空であることを悟らなければなりません。自分の根性を持ったままでは、イエスを受け取ることはできないのです。この点をよくご承知頂きたいと思います。




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