3般若心経はあの世の実体が書いてあると聞ましたが、そうでしょうか

般若心経は、あの世の実体は書いていません。あの世に入る入口の状態を説明しているのです。例えば、究竟涅槃という言葉がありますが、これが、般若心経の目的なのです。
 涅槃というのは、今までの色々な考えをやめてしまうことなのです。人間の頭には、五蘊という間違った考えがつまっているのです。これを捨ててしまうのです。
 今までの自分の経験が、自分を迷わしているのです。自分の信じている宗教、学んだ学問が、因縁になっているのです。悪因縁になっているのです。この悪因縁が、人間を地獄へひっぱっていくのです。
 今まで生きてきたことが、嘘なのです。五十年生きてきた人は、五十歳だと思っています。これが嘘なのです。今までの人間の経験は、自分という人間の経験なのです。
 ところが、自分で生れたいと思って生れてきた人は、いないのです。だから、今生きている人の命は、自分のものとは違うのです。
 人が生れてきたのは、天の命によるか、時の流れによるか、とにかく人間の理屈では考えられない原理に基づいて、命が存在している。そうすると、命は、自分の持物ではないのです。それを、自分の持物のように考えている。これが、第一の迷いなのです。
 人間の常識、学校教育が、人間自身を、迷わせているのです。人間の文明は、五蘊のかたまりなのです。五蘊のかたまりということは、間違いのかたまりということなのです。文明の理論、学問、宗教は、全部、死んでしまった人間が言い残したことばかりなのです。これが、人間の常識になっているのです。
 文明思想というものは、どんなものでも、全部、死んでしまった人間の知識が、流れこんでいるのです。だから、これを捨ててしまわなければならないのです。
 死んでしまった人間の勉強をしないで、死を破った人の言うことを聞くのです。原理は簡単なのです。死をのりこえた人は、イエスしかいないのです。他に、死をのりこえた人は、一人もいません。釈尊でさえも、死んでしまったのです。日蓮も、弘法大師も、親鸞も、道元も、皆死んでしまったのです。
 死んでしまった人間は、負けた人間なのです。
 死を破った人間は、この世に勝ったのです。
 イエスは、死に勝ったのです。死に勝ったことが、罪に勝ったことなのです。人間の因縁に勝ったことなのです。因縁に勝った人間の勉強をすれば、死に勝てるのです。
 死に勝つというのは、ただ、考え違いをやめることなのです。
 難しい悟りとか、信心をしなくてもいいのです。五蘊皆空だけでいいのです。今までの人間の常識や知識をのりこえてしまうことだけでいいのです。そうしますと、死なない命が、必ず見つかるのです。
 自分が生れたいと思わないのに、生れてきた。その命を、自分のものだと思いこんでいる。命は、天から預けられたものです。これを、自分のものだと思いこんでいるのです。
 預けられたものを、自分のものだと思いこむことは、背任横領になるのです。銀行員が、集金したお金を自分のものだと思いこんでしまいますと、刑事上の犯罪になるのです。
 背任横領罪です。今の人間は、皆、これをしているのです。預けられた命を、自分のものと思いこんでいるのです。
 何を考えようと、自分の勝手だ。自分の魂のことを、放っていてくれというのです。神を信ぜよ、悟りを開けと、ばかなことを言うなというのです。そういう横車は、この世に生きている間は、通用します。人盛んな時は、天に勝つのです。人間は理屈を言えば、神は黙って見ています。
 だから、この世を去ってから、高い税金をとられるのです。おまえは、生きていた時に、こういう理屈を言った。その税金を出せといわれるのです。地獄の刑罰という税金が、待っているのです。だから、理屈を言わないことです。
 今生きている命を、素直に見ればいいのです。大人の考えは、悪いのです。特に、男が悪いのです。
 女の人は、現世では、男の上は立つことができない。だから、無意識に、従順にならざるを得ないのです。物事に、順応することが、知らず知らずにできているのです。
 男は、そうはいかないのです。結婚すると、だんな様になってしまう。だんな様になってしまうと、いばりかえってしまうのです。これが、男の大欠点です。
 男は、奥さんの服従のしかたを、よく勉強することです。女性は、男が勉強をするために、与えられているのです。
 男が、我を折って、女性の姿を勉強する。そうすると、男の従順ができるのです。男は、だいたい頭がいいのです。頭がいい所へ、従順になると、鬼に金棒です。
 これが、一切空ということです。五蘊皆空とは、従順になれということです。何でもないことです。簡単なことです。やろうと思えば、誰でもできることなのです。
 神を信じるとか、仏を信じるとかいうこととは違うのです。従順になれば、自分の心臓が動いていることが、神であることが、自然に分ってくるのです。従順な霊魂には、宇宙の指導霊が働くのです。
 太陽を太陽として働かしている力があるのです。天地全体の力です。これを、神のペルソナというのです。人間のパーソナリティーは、神のペルソナからきているのです。
 人の人格性は、神の人格性の現われですから、自分の人格性を自分で拝んでいいのです。人の人格性は、その位、価値のあるものなのです。
 霊魂の勉強をすることは、仕事よりも、家庭のことよりも、もっと大切なことなのです一大事の因縁とは、このことなのです。魂の勉強は、人間一大事の因縁なのです。



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