45仏教と仏法とはどう違いますか。

仏教と仏法とは違います。こんなことでも、現在の仏教信者には分かっていないのです。
 仏法というのは釈尊の悟りです。仏教というのは、各宗派の宗祖、つまりお祖師さんの考え方でできているのです。例えば日蓮の考え方が日蓮宗の教義になっています。親鸞の考え方が浄土真宗になっている。道元の考え方が、曹洞宗になっている。
 日本には仏教というものはたくさんあります。しかし仏法というものは一つもないのです。本当は仏法が分からずに仏教をしても意味がないのです。
 釈尊と親鸞とどこが違うかといいますと、釈尊は明けの明星を見たことによって、現在、人間が生きていることが、空だといっている。一切空だと言っている。ところが、親鸞になりますと、一切空にならないのです。人間が阿弥陀如来のお慈悲を受けて、仏国浄土へ行けるのだ、死んでから浄土参りができるのだという思想なのです。念仏を申し上げていると、この世を去る時に仏さんが迎えにきてくれるという思想なのです。
 そんなことは釈尊は全然言っていないのです。般若心経の中心を流れている思想は、今日の日本の仏教では説かれていないのです。
 般若心経は色々な宗派でずいぶん使われています。しかし本当に信じていないのです。例えば五蘊というのは、人間の感覚、意識全体をさしています。人間の考えていることは、常識も、知識も、学問も悟りも、全部五蘊になるのです。
 五蘊皆空、人間が生きていて、物を考えるその考えは、全部空だというのです。例えば、仏が分かったと思い、神を信じるというその信心が間違っているのです。親鸞が阿弥陀如来を信じていたその信じ方が間違っているのです。これが釈尊の本当の思想なのです。
 釈尊の思想は一切空であって、人間が生きているということが空であるだけではなくて、地球があるということが空だという思想でありまして、こんなことは今の日本には通用しないのです。
 今の日本に通用するのは、親鸞の信仰とか、日蓮の考え方です。ところが、釈尊の悟りは、今の日本では全く通用しません。仏教はピンからキリまで宗教ばかりです。仏教は生きている人間を相手にしているのです。生きている人間が救われること、生きている人間が幸せになること、つまり商売繁盛、家内安全ということが、宗教の目的なのです。ご利益というものがなければ、宗教というものは存在しないのです。
 ところが、釈尊の悟りというものは、ご利益を一切無視するのです。ご利益どころか、現在生きている人間を無視するのです。これが釈尊の本当の悟りなのです。これは般若心経にはっきり出ています。五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃という言葉が、般若心経の面目であって、般若心経だけが釈尊の思想に近いことを言っているようです。
 本当を言うと、般若心経でさえも釈尊の本当の思想は現れていません。釈尊は、明けの明星を見て悟りを開いたのですが、これが般若心経に出ていないのです。一体、釈尊が言っている空とはどういうことなのか、これが今の日本の仏教では説明ができないのです。
 これを不立文字といいます。千聖不伝といっています。要するに空の説明ができないのです。これが実は日本の仏教の大欠点なのです。
 なぜそれができないのかというと、生きている人間を相手にしているからです。生きている人間を相手にしますと、本当のことが分からなくなるのです。すべて宗教になってしまうのです。今の日本の仏教で、ご利益を説かないものは一つもありません。全部ご利益を説いています。死んでから極楽へ行けるとか、家内安全になるとか、商売が繁盛するとかいいます。
 ある宗派に入っていれば、死んだらすぐに生れかわるといいます。その生れかわるということが、間違っているのです。
 この世に生れてきた人間が何をしているのかというと、自分の欲望のために生きているだけのことなのです。これが間違っているのです。
 この世に生れてきたということが、欲の中へ放りこまれたということなのです。そういう欲望生活を追求するものは、この世へ何回も生れてきたいと思うのでしょう。
 ところが、欲望生活を追求するものは、魂がだんだん泥まみれになるのでありまして、現世に、肉体的に生きていても、何の価値もないのです。
 現世の人間の感覚というのは、五蘊であって、五蘊というのは一切空だというのが、般若心経の思想なのです。釈尊の悟りに一番近いのが、般若心経でしょう。それ以外の、阿弥陀経とか、三部経、涅槃経、法華経とかいうものは、全部宗教です。これは釈尊の悟りではないからです。釈尊の悟りにつけ加えて、色々と個人の思想が入っているのです。
 だから、仏教の経文の一番最初には、如是我聞という言葉があるのです。私はかくのごとく聞いたという意味なのです。これは釈尊の思想ではないという証拠なのです。
 仏教の経典を信じても、釈尊を信じたことにはならないのです。これは、いいとか悪いとかいうのとは違うのであって、仏教はそれぞれの宗派、宗門のお祖師さんの思想です。ところが仏法本来の面目は、釈尊の悟りです。
 仏教は、現在生きている人間を対象にして、生きている人間が幸福になること、又、死んでから極楽まいりができることを目標にしています。
 ところが、釈尊の悟りは、人間が現世に生きているということが、本質的に空だといっているのです。空ということが、日本の仏教では分からないのです。空とはからっぽだという禅宗の一派があります。又他の禅宗の一派では、からっぽではない、何かすばらしいものがあるといいます。そこで空の実体が分からないのです。
 これが、日本の仏教の大欠点なのです。仏という意味が分からないのです。仏さんとは大日如来、遍照金剛だといいます。地球全体を支配する大きい知恵と力がある。そういう方の光が、全体に輝きわたっている。これが遍照金剛だという。そういう太陽のようなものが、仏さんだと考えている。
 それでは、太陽のような、大きい仏さんというものが、実質的にどういうものなのか。何が仏さんなのか。誰がそれを認めたのか。太陽のような仏さんがあるとして、その仏さんがあるに違いないという証拠がどこにあるのか。こういうことになりますと、さっぱり説明ができません。現在の世界の歴史と仏さんが、どういう関係になるのか分からない。日本の仏教はそういう根本的な弱点があります。
 日本で育ったお祖師さん、日蓮でも、親鸞でも、日本の国のことしか知らないのです。だから、ヨーロッパ社会がどうであるのか、アフリカ社会がどうであるのか、それらの国が世界歴史においてどういう役割を演じているのか。こういうことの説明は、日本の仏教ではできないのです。
 もし遍照金剛であり、大日如来であるのなら、全世界のことを何でも説明できなければならないはずなのです。しかし、日本の仏教はそれができないのです。
 仏教は、日本、あるいは東洋の一部だけに通用する宗教になるのです。世界的な真理とは言えないのです。仏教が言う仏さんは、人間が造ったものであって、本当の仏ではないのです。釈尊が言っていたものとは、全然違うのです。




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