44目で見ているものがそのままあるのではないと言われていますが、それはどういう意味ですか。

例えば目の前に、赤と黄色の花があるとします。ところが、赤というのは、実は赤くないから赤く見えるのです。黄色い花は、黄色くないから黄色に見えるのです。
 どういうわけかといいますと、これは視覚の錯覚なのです。赤い花は赤い色を拒んでいるのです。拒否しているのです。拒まれた赤色が皆様方の目に映っているのです。それで赤く見えるのです。赤い色を拒んでいるから赤く見えるのです。
 皆様方は自分の目で見ていると思っているでしょう。目で見ているのではなくて、太陽光線の反射によって、あるいは他の光線の反射によって、皆様方の目に物の映像がうつっているのです。それなのに、見ていると思っているのです。
 皆様方は、自分の体に体重があると思っていらっしゃる。例えば、五十キロとか、六十キロとかいう重量があると思っていらっしゃるかもしれませんが、そういうものはないのです。ただ地球の引力に対する抵抗があるだけなのです。
 ですから、地球を離れてしまいますと、皆様方の重力がゼロになります。百キロでも四十キロでも、同じようになります。地球を離れてしまいますと、太っているとかやせているとかいって、心配をしなくてもよくなるのです。やせたい人は、地球から離れたらよいのです。地球にいる以上はしょうがないのです。
 そのように、重量があるとか、赤く見えるというような人間の肉体的五感というものが間違っているのです。肉の思いで見ているから間違っているのです。
 仏教の経典にもありますが、釈尊は弟子に向って、あなたがたの目は嘘を見ている。あなたがたの耳は嘘を聞いているということを繰返しいっているお経があります。
 イエスも、あなたがたの目が正しければ、全身が明るいであろうといっているのです。あなたがたの目が正しく働いているなら、人間の魂全体の状態が、はっきり分かるだろうといっているのです。生れる前に皆様がどこにおられたか、死んでからどのようになるかが、はっきり分かるというのです。
 全身が明るいだろうというのは、こういうことを言っているのです。全身というのは、肉体のことではありません。魂全体のことを言っているのです。
 そのように、皆様方の五官の使い方が、間違っているのです。そこで、般若心経には、無限耳鼻舌身意、無色聾香味解法といっているのです。眼耳鼻舌身というのは、人間の五感のことです。この五感がないと般若心経は言っているのです。又、不生不滅、不垢不浄といっています。目で見ている世界も、心で感じている世界も、一切ないと般若心経は言っているのです。
 ところが、般若心経を読んでいる人が、目で見ているものがあると考えて生きている。そういう人は、般若心経を読んではいるが、その内容を全然知らないということになるのです。そういう読み方をしているのです。聖書もそのとおりです。
 そういうことですから、皆様方の五官のあり方、目のあり方、見ていることがどういうことなのか。例えば、何かを食べておいしいと思われる。おいしいとは一体どういうことなのか。なぜおいしいと思われるのでしょうか。これなのです。美しい景色を見て、ああすばらしいと思われる。なぜすばらしいとお考えになるのでしょうか。
 このことを簡単に述べておきますと、実は、人間は生れる前に、五官の根本になるような魂の機能、心理機能を神に植えつけられた。魂の機能の根本になるようなセンス、力を神に植えつけられて、この世へ出ておいでになったのです。
 だから、この世へ生れて五時間か六時間かすると、おなかがすくのです。食べることも、飲むことも全然知らないはずの赤ちゃんが、お母さんのお乳をのむのです。どうしてのむのでしょうか。
 又、生れたての赤ちゃんが、すやすやと眠っていながら時々笑うのです。いわゆるベビースマイルです。何を笑っているのでしょうか。生れて、何も経験していない赤ちゃんが、笑っているのです。これは、赤ちゃんに生れる前の世界があった証拠なのです。
 皆様方の魂は、この世へ出る前に、神と共にいたのです。命の本源で生きていたのです。その命を持ったままで現世へやってきたのです。赤ちゃんは、生れる前のことを思いだして、笑うのです。
 赤ちゃんは、にこにこと笑います。大人はにたにたげらげらと笑います。それだけ違うのです。
 大人の心は大変汚れて、ゆがんでいるのです。大人のことを英語でアダルト(adult)といいますけれど、新約聖書では形容詞としてアダルタラス(adulterous)という言葉を使っています。アダルタラスになりますと、姦通の、不義の、邪悪のという意味になるのです。
 大人の心は非常に汚れて、ゆがんでしまっているのです。心がひがんでしまっているのです。私みたいなものと考えるのです。私みたいなものが神を信じられるのだろうか。私みたいのものが天国へ行けるだろうかと考えるのです。そのくせ、なかなか自尊心は強いのです。私の気持ちが分かってもらえないと、ごてごて文句を言うのです。倣慢でありながら、劣等感をもっているのです。そういう複雑怪奇な気持ちを、大人はもっているのです。そんな気持ちを持っていたのではだめです。そこで、心をかえて新にしなければいけないのです。
 五蘊皆空、色即是空といっているのです。一切皆空ということを心得て初めて、悔い改めるということができるのです。そして聖書を読むことができるのです。聖書を正しく学ぶことによって、イエス・キリストの復活という驚くべき事実が分かるのです。
 本当に死を越えたのは、ただイエスという人物一人だけなのです。だから、皆様方がイエスを勉強なさって、イエスという人の生き方のまねをなされば、死の関門を破ることができるのです。イエスの命をそのまま自分の命にして頂ければよいのです。自分の人生を土台から考えなおすという勇気をもって頂きたいのです。



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