38般若心経と聖書は誰が書いたものでしょうか。

これは結論的に言いますと、人間の常識で書いたものではないのです。般若心経を常識で書いたものなら、遠離一切顛倒夢想とは言いません、人間の常識に合うようなもっともらしい説明をするにきまっているのです。
 般若心経は五蘊皆空とはっきり言っているのです。不生不滅不垢不浄といっているのでありまして、人間は生れていない、従って死ぬこともないといっているのです。これは常識以前の問題です。釈尊の教えのエッセンスをまとめたものが般若心経ですが、誰が書いたかは分からないようです。
 聖書は神の言葉でありまして、神の言葉というのは、現在目が見えること、耳が聞こえることです。命の源と、人の命を繋ぎ合わせているものです。これが神の言葉の働きです。これによって私達は生きていることを経験しているのです。
 文明意識は、この繋ぎ目をめちゃくちゃに寸断してしまったのです。ばらばらにしてしまったのです。その結果、宗教ができたのです。専門学ができているのです。ここに地球全体の大きい流れがあるのです。
 聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれており、旧約聖書は、モーセ、ダビデ、ソロモン、数人の大預言者、小預言者達が書いたものです。
 新約聖書は、イエスの弟子達が書いた四福音書と、パウロの伝道記録、書簡集、ヨハネの黙示録等が集められたものです。
 誰が般若心経と聖書を書いたかを考えることもいいのですが、それも人間の常識的な探求になりますから、なるべく常識を棚上げにした方がよいと思います。

[PR]動画