33どうすれば業(ごう)を果たすことができるのでしょうか。
 私達がこの世に生れてきたことは、生れるだけの理由、因縁があったからなのです。生れてきたというは、過去から現在にきたのです。死んでいくというのは、現在から未来へ行くのです。
 人間の命は、過去と現在と未来の全体の本質を言うのです。個々の人間の経験としていえば、魂といえるのです。
 魂がこの世に来るには、理由があるにきまっているのです。そこで、現世にいる間に、命の全体を知ることができた人は、業が果てるのです。
 人間はこの世に生活するために生れてきたのではなくて、業を果たすために生れてきたのです。商売をするとか、会社へ行くとか、家庭を持つとか、色々の形がありますが、それは業を果たすための方法なのです。
 生命は魂のあり方の実質です。これがお分かりになれば、現在までの皆様の生き方ではない、もう一つの生き方が分かってくるのです。生きていることの中に、目に見える面と目に見えない面と、二つの命があります。肉体的な命と、霊的な命と、二つの命があるのです。肉体的な命がある間に、霊の命をつかまえるのです。
 今の考えでは、日本人は全部死んでしまいます。常識を信じているからです。
 命は借り物です。命が借り物だということは、命を貸した人がいるのです。その人をつまえればいいのです。それを神と言うとすれば、その神をつかまえれば、借りた命がもらえるのです。
 命をもらってしまえば、死なないことになるのです。借りたままの状態で放っておきますと、現世を去る時に、命を返さなければならないのです。そこで困るのです。
 命は自分のものではありません。天のものです。天が分かれば、命の本源が分かるのですから、天と自分が、よく話し合えば、永遠の命を与えられることは、充分にできるのです。常識にこだわらないで、心を開いてお考えになれば、あなたご自身の命の根本が、ひっくりかえるのです。
 人間は死なない命を自覚しなければならない責任があるのです。今のままでは、日本人は全部、死んでしまいます。死んでもかまわない、赤信号皆で渡れば怖くないという気持ちがありますが、これは非常に無責任な、霊魂のさばきを知らない人が言うことです。
 自我意識は、自分だけしか通用しないものです。
 人間の精神生活は個々別々であって、一人ひとりが自分の部屋に閉じこもっているのです。いわば刑務所の独房のようなものです。一人ひとりが孤立しているのです。人間は皆孤独です。孤独であることが、霊魂が審かれるための前提条件なのです。
 神と仏の関係を簡単に言っておきますと、仏というのは、自分自身の人生がほとけること、ほどけることです。人間が何のために生きているのか分からない。死んだらどうなるか分からないことを、ほどくのです。これが仏です。仏とは、人間が生きている姿を、はっきり認識することです。
 五蘊皆空、色即是空が、仏の入門なのです。神とは、日本の八百万の神ではありません。皆様の命の本店、天が神です。皆様は天の意志によって生れてきたのでありますし、天の意志によって命を預かっているのですから、天が分かれば死ななくなるのです。
 中国では、神を、上帝とか、天帝といいます。聖書の神はどうも日本人には分かりにくいのです。
 日本の神は、人間が造った神です。ところが聖書の神は人間を造った神です。人間を造った神は、人間の命の本質そのものの中心です。例えば、太陽が輝いている事柄の原理、地球がなぜ存在するか、人間がなぜ存在するか。その原理が神なのです。
 皆様の心臓が動いていることが神です。目が見えることが神です。皆様は神と一緒に生きておいでになりますが、その神が分かっていない。だから死んでしまうのです。
 本当に神が分かりますと、孤独である状態から解放されます。自我意識によって、自分の部屋に閉じこもっている状態から解放されて、神と一緒に生きることができるのです。
 天と人が、二人づれで生きるのです。生きていることが神なのですから、それを素直に認めればいいのです。心臓が動いていることが神なのですから、それにはっきり気がつけばいいのです。
 それに気がつこうと思えば、今までの常識を棚に上げる勇気がいるのです。
 今のままの気持ちでは、神は分かりません。仏になっていないからです。神が本当に信じられる心理状態が、仏なのです。仏を仏のように扱うことが、神です。
 常識で生きていれば、必ず死にます。死んでから、ひどいことになります。だから生きているうちに、死なない命を見つけなければならないのです。




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