とあるところに、聖なる観自在菩薩というおやっさんがおった。
そのおやっさんは、深〜い超越意識の状態にトリップしたとき、
次のような「マジかいな」ということがらを見極めたらしい。
わしらがものを認識することは、
物体(できごと)があり、それを感覚器官で受信し、
認識し、意志を引き起し、理解するという5種類に分類される。
そのいずれも、
と見抜きよったのや。
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ええか、おまえさん、この世界においては、
物体は幻であり、幻が物体として現れているっちゅーねん。
幻でない物体はない、しかも、物体は幻以外の何ものでもない。
物体と見えるものはすなわち幻や、幻がすなわち物体と見えとんのや。
このほかの、認識も、意志も、理解も、
おなじしくみやっちゅーねん。
ええか、おまえさん、この世界に存在するものは
すべて幻やから、実体がない。
すべては無や。
とゆーことは、そもそも、物体は生まれることもない、
生まれとらんから消滅することもないわけや。
そやから、けがれることもなく、きよくなることもない。
もちろん、減ることもなく、増えることもない。
それゆえ、おまえさん、すべては無なわけやから、
物体も、感覚も、認識も、意志も、理解もないんや。
感覚器官である、わしらの眼も、耳も、鼻も、舌も、体も、心もない。
形も、音も、香りも、味も、触感もなく、
何かが存在するっちゅうこともないねん。
目に見える世界もなけりゃ、心の中の世界もない。
悟りもなければ無知もなく、
はじめからない悟りがなくなることもなければ、
無知がなくなることもない。
おまえさんを苦しめるもととなる、老いも死もない。
老いや死がなくなるということもない。
そもそも、苦しみもなく、欲望もなく、無欲になることも、
修行して何かに到達するということもない。
知ることもなければ、得ることもない。
カネがない。小遣いがない。友達がない。恋人がない。
悟りをひらいてるおやっさんたちは、
トリップした超越意識においてこのことを知っとるから、
心を曇らせるものがない。
心を曇らせるものがないので、
怖れがない。ビビらへん。
幻想を真実と思い込むこともなく、
静寂至福の境地におるわけやな。
過去、現在、未来のすべての世界において、
悟りを得たおやっさんたちは、
いうなればこんな超越意識によって、
すんげぇ悟りの境地に到達しとるっちゅうわけや。
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ほんでな、ここだけの話、おまえさんに知ってほしいんやけど、
超越意識に至る合い言葉があんねん。
それはな、めっちゃ悟りの合い言葉や、
これよりスゴイもんはないし、強烈なもんもない、
おいおい誇大広告でJAROにチクらんといてほしいんやが、
一切の苦しみを取り除く、ウソ偽りのないほんまもんの合い言葉やねん。
それはやな、観自在菩薩のおやっさんが超越意識において
唱えられた合い言葉や。
ここだけの話、おまえさんだけにその合い言葉の意味を教えたろ。
『キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!! キタキターッッ!!
来ちゃったよーっ、
あの世のめっちゃええところに来ちまったよーっ!
あの世かよ?
マジ?ほっぺつねって・・・イタっ!ちゃうやん。この世やん、
この世のめっちゃええところに来ちまったよーっ!
悟っちゃったよ、ウレピーッ!どうもおおきに。』
(ギャーテイ、ギャーテイ、ハーラーギャテイ、ハラソウギャーテイ、ボーディ、ソワカ。)
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提娑婆訶
これが、超越意識の教えのエキスだっちゅーねん。
おいおい、これをとなえて、心を鏡のようにして
座って目をつむっていたら、わいらにも
このエキスの一端が分かってきそうやんか!