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般若波羅蜜多を説明して下さい

般若波羅蜜多とは、サンスクリットで、パニャー・ハラム・イターとなりますが、これは彼岸への上智ということなのです。向こう岸へ渡る人間の常識以上の上智ということです。彼岸への上智が大切なのです。お経をいくら読んでも分からない。神も分からないのです。聖書を読むのは簡単ですが、本当に理解することはめったにできません。
 キリスト教の理解のしかたは皆間違っているのです。キリスト教神学で理解しているのです。例えば、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」ということの意味が分からないのです。ですから、キリスト教の人々は、神を拝んでいるつもりで、キリスト教の理屈を拝んでいるのです。キリスト教の宗教観念を拝んでいるのです。
 仏教でも同じことです。仏を信じているつもりで、仏教の教義を信じているのです。宗教は皆こういう間違いをしているのです。
 なぜこういうことになるかといいますと、向こう岸へ渡る知恵がないからです。向こう岸へ渡っていない人が般若心経を呼んでいる。向こう岸へ渡っていない気持ちで般若心経を読んでいますから、何回読んでも色即是空が分からないのです。
 色即是空という言葉を理屈で説明することは、仏教大学の先生はします。しかし、いくら理屈で説明しても、般若波羅蜜多にはならないのです。現在生きている自分の肉体が幻であることがはっきり分かっていなければ、般若波羅蜜多とは言えないのです。
 肉体は幻です。ただ生きているという事柄があるだけなのです。肉体がなければ、お話することができませんから、肉体があった方がいいのですけれども、なくてもいいのです。これが本当の見方なのです。
 本当の命はあるものです。般若波羅蜜多という事実はあるのです。
 般若心経を読まれるなら、又聖書を読まれるなら、それに従った心構えを持って頂きたいのです。現在の常識を持ったままでは、いくら読んでも納得できません。
 そのためにはどうするかといいますと、まず悟ることなのです。五蘊皆空といっていますから、真理をつかまえるためには常識を捨ててもよいという考えを持って頂きたい。
 聖書は、このことを悔い改めて福音を信ぜよといっているのです。現在の常識を持ったままで、聖書を理解しようとしても無理なのです。
 心臓が神と対話しています。花でも神と対話しています。しかし人間は神と対話していない。そのように間違っているのです。
 花がしていることを人間はしていないのです。人間の頭が分かっていないのです。これだけ頭は間違ってしまっているのです。そういうことが般若波羅蜜多の重要性を示しているのです。

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